こんな私でも言われる「どうやって毎日、長文書いてるの?!」

こんな私でも言われる「どうやって毎日、長文書いてるの?!」

「どんな?!」って思ってページを開いてくれる人がいたら幸いです(^-^)

私の場合は、「今日書くことないかも~」なんて日に、
今回のようなフワッとした内容の記事を積極的にリリースするようにしています。

質問してくれる人はだいたい「凄いね」ってニュアンスを込めて言っているのですが、
どう読み返しても内容が凄くないので複雑な気持ちになります 笑

きっと、「文章を書く」ということに対してのハードルが高過ぎる人が世の中には多くて、
その高いハードルの人同士で質を高め合っているため、新規参入することが難しく感じられるのだと思います。

そこで私のような捻くれ者は「質」を疑います。

「質」とは何か?、「質」の定義は?、「質」がない文は書いちゃいけないのか?、「質」が担保されていないブログは書き続けられないのか?など悩んだりしてみます。

最終的には、結論が見えないまま「書きたい」から書き続けるのですが、きっとそれが出来ないから「ブログなんて始められない」という人が多いんですよね。

もちろん、始める予定がない人のほうが圧倒的に多いので「書けば?!」なんて勧めることもないですが、
「書きたいけど書けない」なんて人が居れば、不思議な気持ちもありつつ悲しい。

なぜ短文だけしか書けないと思い込んでいるのだろうと思ってしまう。

…だいたいココまで読んでいただいたら分かっていただけるとは思うのですが、
私の文が結構な成り行き任せで綴られており、構成も大して考えられておらず、
小学校低学年くらいの時に学校で習う「『思います』をなるべく別の言葉に変えて表現しよう」なんてセオリーは無視。

ついでに、どう考えても削れる部分をそのまま残す。

…これ、「書けてない」ですかね??

「こんなの読む人いない」とか「読んでムダだと思わせるな」って感想を持ちそうじゃないですか?!

残念ながら、私は他人の心を発言や文章でコントロールすることは出来ません。

だから、「こんなの読む人いない」と言われても、「読んでから言うなよ」と悔し紛れに言うことしか出来ない。

ただ、私の中で文章を書くことはいつまで経っても練習。

ブログを世の中に投下するたびに「このままリリースして大丈夫か?」という不安は尽きないのですが、
その不安や、「こんなの読む人いない」でも反応がなければ続けるモチベーションがドンドン下がっていくのも事実。

しかも、他人の”行動”もコントロール出来ないわけですし、
「こんなの読む人いない」と1度思った人が別の記事を読んでみようとなかなかならないのも予想は付きます。

だから、「練習」を読んで「こんなの読む人いない」と言ってくれる人に、
敬意を払いつつも一意見として受け流します。
「いや面白かったよ」とか「意味分かんなかったけど個性的だね」などの言葉を”捏造”します。
(ブログのコメント欄で自作自演したりはしません。そうぞうするだけです。)

そしてみんな忙しいので、「こんなの読む人いない」すら殆どの場合に言ってもらえません。
だからそれも”捏造”します。

言ってくれた人が居たと仮定しつつ、逆の意見の人も居ると信じます。

全て自分の頭の中だけで繰り広げられる世界です。

これが実現できるのは、「書く」作業が収入に直結していないからだと思われます。

通常、長文を書くことに費やす時間が足りない、
学校や仕事で1日の大半が潰れて書く時間なんか残っていないから書かないのだろうと思われます。

私にもそんな時期がありました。
これからも充分ありえるでしょう。

ただ、自分が何気なく過ごしている1日の中で「収入を生まない時間・行為」なんて元から山のように存在していたわけで、
「書きたい」も「食べたい」や「寝たい」「〇〇したい」などの欲求と大して違いがない、
「満たされればそれだけでいい」欲の一つなのです。

というか、そのようなものと自分の心の中で位置付けます。

すると、新たな問題が発生します。

「書いて満足するだけじゃ生きていけない」と。

私にとっては、この順番こそが大事です。

「書きたい」→「書いた」→「お金得られない」→「得られるように考える」→「実行する」→「得られる」or「得られない」

です。

同じようなことの繰り返しで恐縮ですが、

「書きたい」→「割く時間がない」(その時間を金稼ぎに充ててる)→「書かない」だと、
書いたものからの収入が発生するはずもなく(だって書いてない)、
読まれることもない(だって書いてない)

なんです!

私は、拙過ぎる文章でも、恥ずかしげもなくリリースして、
読んでもらうついでに「どうやって毎日、長文書いてるの?!」なんて誉め言葉?までいただけました。
(もっと長く書ける人が山ほどいる中で恐れ多過ぎますが嬉しいです)

「どうやって毎日、長文書いてるの?!」にどうにか答えるとしたら、

・書きたいから書いているだけ
・自分で変だと思う表現も消さずに残したら自然と長く見える
・長いっていいことですか?!(逆質問
・書く時間をたっぷり確保している
・書いているだけの時間に収入が発生していなくても、他人よりは気にならない

というところでしょうか。

そして、きっと質問の中には「書く内容が毎日見つかるの凄い」みたいなニュアンスが含まれているのでしょうが、

むしろ凄くない!

だって内容が酷い 笑

「自信作です!」なんて言い切れるクオリティーのものは元から作れっこないと諦めの境地に居るので、
高品質を保つためにどうすればいいかと悩む時間が必要なくなってくる。

それより、「今朝、いつものようにハミガキしてただけ」というあり触れた内容をどうやって読んでもらえるだろうかなんて、
他人が「ムダ」と感じる時間に無理やり価値を見出す。
勉強する。

文章って、書いたものが評価される瞬間より、書いている時間のほうが充実感が高いので(私の中では)、書こうと思えています。

そして、「書けない」という状況・苦悩をそのまま「書く」ことも出来るのが文章の強み。

強みを捨てている人が多ければ、拾った私のほうが目立ってラッキー。
多数が拾い始めたら、今度は捨て始めるかも 笑

そしてだいぶ書き終わりに近付いてから新たな気付きを得たのですが、

自分なりに狙って高評価を得たい人が多いのかな?!なんて。

意図的にバズりたい&それで収入を得たい人が多いのだろうな、なんて。

私はどちらかというと文章を書いて高評価を得られる確率ってとてつもなく低いと思っておりまして。
だって、人の心を読める機械が生み出されたら、書く労力に価値を見出してくれる相手がいなくなってしまいそうだし、自分が書いているものは他人が”書くほどでもない”と思っているものだし、新発見を文章で伝えようと思っても既に誰かが言っていることの言い換えに過ぎないこと多いし…

(暗くなっちゃうし…)

ギャンブル性高いな(^-^)って思いながら楽しむこととしますよ 笑

今までだって、自分が面白いと感じた内容が全然他人にはピンとこなかったことが多い。
もういっそそれでいい。

馬も騎手も見ずに好きな番号を組み合わせて馬券を買う感じ。
それがまぐれ当たりしても喜べる感じ。

ハズした時にメンタルがヤられないように、
自分を過信しないようにしなくては♪

~さいごに~

ココに書かれてある全ては、何らかの統計結果に基づいた言説ではないため、「読んでムダだった」と思うかもしれません。

でも私は、とにかく「書きたいから書いているだけ」「書きたいことを書いていたら儲かった」フリを続けます。

自分と読んでくれる人の脳を騙し込むことが、書き続けるモチベーションを保つための、私なりの作戦です。

欲は更なる欲を生み、金は更なる金を集めます。

欲望だらけの自分であることを悟られまいと、
必死に「書きたい」欲だけしかない人間であることを吹聴して回ります。

最後に唐突なホラー感 笑

(追記)

だいぶ近い内容の文章を別記事で綴っております。宜しければご覧ください(^-^)
新たな気付きが全く得られなかったら、

、、、

ごめんなさいm(__)m

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