【短文】被洗脳度チェック

【短文】被洗脳度チェック

自身を「洗脳されているかもしれない」と疑うことが出来るあなたは、「洗脳」にかかりにくい人なのかもしれません。

でも、基本的には確かめること自体にあまり意味がないのでしょう。

「洗脳されているかもしれない」と自分を疑えたあなたは、無意識に他の同じような思考・行動の人を探してしまうかもしれない。そして、見つけたら安心する。「自分だけじゃない」と思う。

「自分だけじゃない」がわりと多く見つかってしまったあなたは、次にその「自分だけじゃない」のほうが今まで勝手に一般常識と思い込んでいたものを凌駕する数存在する可能性を模索し、自分の手足で稼いだ発見を妄信したりする。

他人は、誰かに対して「あの人は洗脳されているかもしれない」と感じる時、だいたい不幸なイメージを同時に抱く。自分の意志と無関係に心身をコントロールされて可哀想と。

例えば、被洗脳状態であると仮定した相手が見るからに深い傷を負っているなら、その原因を洗脳下における自傷行為の可能性もあると推測できるかもしれない。他にも選択肢として色々考えられうる中の1つとして「洗脳」を疑える。

私たち人間は、「自分はこうされたら嬉しい(悲しい)から、相手も恐らく嬉しい(悲しい)だろう」と、目には見えない感情面に対しては自分との比較分析をほとんど欠かすことがない。「自分はこう思う」というのは絶対的に確実めいている情報だからなのだろう。

ただし、「自分はこう思う」を言葉にしたものを誰かが見聞きした時に、本当にあなたがそう思っていると信じるかどうかとなると雲行きが怪しい。その時に信じたければ信じ、信じたくなければ信じないといったところだろうか。咄嗟の判断が出来ない場合は「疑う」という保留を選択できる。

いつでも「幸か不幸か」と行動開始の際の判断基準として考える人は、目の前の物事1つ1つを「疑う」にしても、疑っている時間が「幸」なら長引かせるし、「不幸」ならすぐ終わらせるだろう。

そんな人にとって、洗脳されているか否かはさして重要なことではない。どうでもいいとさえ言える。洗脳された結果、自身を幸せと思っている人を、世間一般の常識や慣習を持ち出して「不幸だから助ける、目を覚まさせる」というのは、被洗脳者にとってだいぶ都合が悪い。欲しいのは幸せの実感だ。みんなが思い浮かべる幸せとの価値観とのズレが大きいほど、洗脳を解かれた状態に不快感が残る。

ところで、個人的には自身も洗脳されていると思っている。自分だけではない。世界中の殆どの人が、度合いの大小はあれど洗脳されていると思っている。

  • スーパーに行きお菓子を買う→美味しかったからまた同じお菓子を買う
  • 大好きなアーティストのグッズを集める
  • 意識して毎日同じ時間に起きる
  • 青い海を見てキレイだと感じる

そう、もし生まれたばかりの赤子が大人ほど豊かな感情を持ち合わせていないのなら、私たちの行動1つ1つは他人のマネを繰り返していくうちに個人に定着していく。

科学的根拠がないものについては信じないスタンスの人も世の中には多いが、生まれた疑問の全てを自らの手で解決するのは到底無理なことだろう。語弊があるかもしれないが、心からの理解は自身の経験を通じて初めて叶うものと思える。

「マネ」は信じる心と疑う心の両方を抱いたままでも可能だ。とりあえずやってみて、大きなエラーがなかったり、目的のための最適な方法と認められれば、納得して繰り返せる。

本能的に青=キレイと脳が記憶していて自然と海に足が向かうなら、幸せと同時に自分は洗脳されていないかどうか疑ってみるのも一興かもしれない。

どれだけ黒く汚れていても、それを美と捉える人もいる。

どこが被洗脳度チェックなんだ…完。

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