この記事を書くにあたって、私は自分の性別を主張しません。
もちろん、自己紹介ページを見ていただければすぐ分かるし、
文面からもなんとなく読み取れるとは思いますので、
隠すこともいたしません。
男か女かをなるべく捨てた話が展開できれば幸いです。
なぜアルファベットなのか
引き続き自分勝手な考察を続けさせていただきます。
解説してくれる方が沢山いらっしゃるため、それを頼りに解き明かしたいのですが、
L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル…
なるほど、読むにも書くにも長くなるんですね…
念のため漢字でも表現してみるとなると、
L=女性同性愛者、G=男性同性愛者…
より長い!特に声に出して読む時!
「蚊」なんか一文字でそれが何かを表現できるのに対して、
一般的に理解することが複雑に感じるモノほど文字数を要してしまうのは仕方のないことなのかもしれません。
大昔に「蚊」や「目」に伝わるスピードまで奪われてしまっているんですよね…
ただ、LだけやGだけでも伝わりにくい意味は、
「LGBT」と合わさることで4つ全てを知っている相手に届く可能性を得る。
4つの言葉の意味だけでもない。
男女以外の性を定義づける必要がなぜあるのか、
人類の長い歴史において、その言葉がなかった時代には人々(主にLGBTと定義づけられる方)はどのように生活していたのか、
自身が性のマジョリティに属している場合は特に、「LGBT」が呪文のように、文字列を見るだけで想起することが出来る。
言葉は他者との最大のコミュニケーション・ツール。
頻繁に性について議論が交わされることになったから、分かりやすく定義づけられ、一般にまでその名称が広まっているのでしょう。
それにしても、私たち日本人の「国語」としての日本語は、時代を経るごとに新しく生まれる概念に名前を付けることに向いていないんじゃないか?!
「寿司」が「sushi」と英語圏で呼ばれるのは非常にありがたいのですが、英文中に「寿司」と感じで表記されることもほとんどないでしょうし、
多言語の世界ってホント大変。
失礼しました
少し前に「新しく生まれる概念」とまるで「LGBT」のことを差しているように感じ取られかねない書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。
確実に、新しい概念ではない。
ずっと、世界中で存在していた。
ただ、性的分類だけでなく、基本的にあらゆる少数派は、社会では認知もされることなく多数派の影に隠れて消えていく場面が多い。
週刊少年ジャンプでいうところの、『ドラゴンボール』に対する『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』のことではない。
例として思い付くだけでも充分な知名度を得ているし、双方アニメ化している。
では何かと具体例を挙げるのは恐れ多いが、
強いて言うなら『武士沢レシーブ』なのかもしれないし、『幕張』なのかもしれない。
…ドラゴンボールへのリンクを貼らなかったことは褒めていただきたい。
なんとなく「銀魂」的やり方をしてしまった。
ってジャンプで連載できる時点で凄すぎる方々が生み出した凄すぎる作品なんですよね。
話を全力で戻させていただきます。
「少数派」は、その辛さを経験すればするほどそれを隠したくなるように思う。
「好きなバンドは?」なんて質問されて、
ホントは「黒夢」と言いたいけど、「GLAY」も好きだしそっちを言っとこうみたいな感じ。
(「黒夢」を出すとややこしいかも)
そこにあまり悪意はなくて、集団に紛れ込みたい心理がなせる術というか、煩わしさの回避という意味合いが強い。
好きな曲やそれを歌っているバンドについて語るだけで、自分のアイデンティティを分析される気がして煩わしいという感情は、私は良く理解できる。
性的マイノリティの方にとっての、あらゆる場面で訊かれる性別に関する質問は、前述した私の煩わしさの比ではないだろう。
合理性で分かれるトイレ
(前世界共通の話を出来なくてごめんなさい)
公衆トイレを使ったことがない人というのもなかなか少ないだろう。
いるのかな…?!
生まれたら出生届に性別を記載して14日以内に提出って、この世に生を受けた時点から性別を断定しなくてはならないのかい…
と思いきや、性別については空欄のままでも提出できるようで法律って難しい。
いつまでも世間の話題として消えることはないであろう、
「何歳までの男児なら女風呂に入れてもいいのか問題」(逆も然り)
「共同浴場は何歳までOKとして公衆トイレは?」
うーん、真剣に考えれば考えるほど迷宮入りしていく。
公衆トイレなら、性別で分けることについての是非を議論されるときにキーとなるのは、
「男性の小便器はトイレ待ちの時間を短くしてくれているけど、無くして大便器だけに統一していいか」だったりしますかね…
合理性を欠いたモノが流行して定着することってあまりないし、合理性って多数決の結果生まれるようなとこもあるし…
性で区別されているモノの存在1つ1つに深く頭を悩ませなければいけないLGBTの方々って、やはり大変な思いをして生活をしていると想像するに難くないです。
外見だけでなく
もしかしたら、「いや、公衆トイレに行くときにそんなに頭を悩ませることなんてないし」って性的マイノリティの方もいるかもしれません。
「そうなんでもかんでもLGBTの問題に結び付けられることのほうが苦痛」って意見もあって当然だと思います。
これこそが永遠に解決しなそうな問題のような気もしておりまして、、、
物心つく前の小さな子供同士の関係においては、「性差別」どころか「性区別」すらない気がしています。
差別や区別を作ったのは、この社会の先輩である周りの大人。
社会に適合するように、良かれと思って子供に教えている区別が、差別の温床になっていたりする。
「LGBT」やその他の心的マイノリティを抱える多くの方々にとって生きやすい社会を作るために、
物事を区別する概念がない子供側からの提案を大人が受け入れられるなら非常に楽なのですが、
大人ってもう何千年も「まだ何もわかっていない子供が一人前になるためにしっかり教えてあげないといけない」という謎の使命感を次の世代に受け渡していくリレーを続けている。
何千年も解決できていない問題に対して、特に大きく変化もない頭脳で考えられることも限界な気がします。
でも、考えることをやめたら人間としての終わり、だなんて考え方もあるのです。
男とか女とか、外見とか内面とか
「考えるな!」も残酷ですが、「考えろ!」も残酷ですよ。
ほとんどの人間が自発的であることを求める。
もしくは正に「聞く耳持たない」だったりする。
「LGBT」という概念を広く皆に知ってもらう働きが、当事者を傷付ける可能性は充分にある。
自分が「LGBT」のいずれでもないけれど、そういう人たちの役に立ちたいなんて思っている人ほど慎重な姿勢で臨んでほしい。
目指しているゴールが、自己紹介する時に堂々とLかGか言えるようになることではなく、自己紹介そのものが無くなることだったりする人がいる。
もちろん、ネットの片隅に葬り去られていくであろう私の一意見なんか影響することもなく、啓蒙活動を頑張っている人はステキだ。
強い意志がある。
では、そのステキな人に負けじと私が今していることは、
「考えるのをやめること」だ。
ある程度、社会でなぜLGBTの問題がクローズ・アップされているかは理解できたように思う。
だが、男でも女でもLでもGでも動物でも植物でも在りたくないと思ってしまった私という個体にとっては、人を分別する作業に充てる時間がもったいない。
もしあなたも「何者でも在りたくない」と思ったことがあるのなら、
考えることをみんながやめた先に、差別のない世界が広がっている気がする私を認めてくれたりするのだろうか。
ってな仮説を立証できたらいいな♪
いつも大げさなんだけど、そんな感じ。
私の中でのあなたはあなたでしかない。
男だろうが女だろうが、男じゃなかろうが女じゃなかろうが、あなたでしかない。
私は、特に存在を誰かから認識されなくてもいい。
自分だけが自分がココに在ると思えてれば一先ずラッキー。
LでもGでも、あなたであってくれ。
なんだかんだで、理解しようとする自分がいて、やめようと思えた。
自分って難しい。
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