【10秒で読める】とある映画の感想がどうしても書けない…

【10秒で読める】とある映画の感想がどうしても書けない…

もう公開から1週間以上経過しているし、私のブログの力でこの映画を観るためにより多くの方が映画館に足を運ぶようになる!なんて全く思っていないから感想を書きやすいはずだが、

書けない。

書きたくないというよりかは、映画タイトルまで出して内容について書き連ねると、良くも悪くも読んだ人が「見たい」「見たくない」など、それまでその映画に対して持っていたイメージを変えるきっかけになり得るし、そもそもその映画に全く情報がなかった人に対して、そのような映画があることが伝わってしまう。

映画の制作や公開に携わる人たちにとっては、少しでも多くの人に映画を届けたいという想いは強いことでしょう。

でも、私のような元からあまり他人に何かを強く勧めたくない(ホントは勧めたい気持ちもあるけど、誰か別の人の影響でも受けて気付いてほしい)者にとっては、なかなか簡単に「良い映画、見て」なんてネット上で発信できない。

(それについて書いている時点で「良い映画」とは思ってるんですけどね)

とりたて、人の生死について大きく描写されているものについては、面白いと感じたとしても、「面白かったよ、オススメ」なんて軽々しく口に出せないという人は多いのではないでしょうか。

100人中100人が、劇中での暴力シーンに対して「架空の世界だから許されていること、マネしてはいけない」と理解し、反面教師的に「やってはいけない」と注意喚起をしているというメッセージ性を勝手に受け取る。

…気がしているものの、実際は映画やマンガ、ドラマ、演劇などをマネした犯罪はちょくちょくニュースで目にする。

別に映画などの作品は犯罪予備軍を量産したいわけではないのだろう。後々犯罪者となってしまった人だって、何かに影響を受けたという意識は低いかもしれない。

今これを書いている私だって、犯罪者でない立場でモノを語るスタンスを採っているが、自分も他人も気付けていない悪事に手を染めている可能性は無きにしも非ずで、とにかく捕まってはいないということは自分で認識できている。

大衆の目に触れるものは公益性があるかどうか、社会的悪影響がないかどうかなど審査する機関のチェックを通過して公開されることがほとんどだ。

誰かがチェックしているという前提があるおかげで、個々人が作品から感じ取る満足度や不快感に差はあれど、「見てもいいもの、つまり、公益性があるものだろう」と判断できる。

100人中100人が不満に思う映画などリリースまで漕ぎ着けないだろう。

私は沖縄という地に生を受け、つい先日も慰霊の日という毎年恒例の大事なイベントをこの地で通過した。

人を不幸にする戦争を二度と繰り返してはいけない、そのとおりだと思う。

ただ、戦争をまだ知らない人がもしいるなら、(年齢は関係なく、)誰に知らされることもなく、自ら思い付くこともなく生きて欲しいと思うことだってある。

戦争の悲惨さは語りべの方を通して後世に語り継がれている。それを生業としていなくとも、私たちだって次の世代に向け、さらにその次の世代へと伝える役割を自然と果たしている。

史実から悲惨さだけを学び、同じことを繰り返そうとする人が現れないことを切に願うのみである。

元から戦争と言う概念がなかった時代があるのなら、誰も知らないままでやり過ごすことが出来たのだろう。

経験したことのない私が戦争から目を背けているのは非常に情けないことなのかもしれない。

私はとある映画の最中、とても怖かった。

観客が影響を強く受け過ぎて、スクリーンの中と同様に客席が悲惨な状態になる妄想をしてしまった。

無事に場内から出れて心が落ち着いたから、こうやって文章を綴れている。

自分で興味を持って足を運んで観た映画で、それがとても面白かったのだが、犯罪を助長する恐れがあると考える人の説得なんて出来ないし、同じ映画を、架空の世界を一緒に楽しんでいた場内の客を疑ってしまった私に、他人に堂々と紹介する資格はない気がしている。

妄想してしまった自分の中にだけ悪はあった。

…以上、ホラー系?の映画って興味ないことはないし見たら見たで面白いんだけど、面白いと思う自分や他人がマネして誰かに迷惑をかけるのって怖いし、誰かに勧めると自分はそういうことしそうな人間だと思われるのも怖いよね~ってお話でした(^-^)

だいたいどの映画のこと言ってるかも時期的なものから判断できるのかもね(^-^)

タイトルさえ書かないってSEO対策的にはアウトオブアウトなんだろうけど、実験してみますっ!

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