才能の捏造

才能の捏造

そう、これも言うなれば才能の“捏造”。

西野亮廣さんや中田敦彦さん、堀江貴文さん、DaiGoさんなど、既にある知名度を存分に活かしつつ、文章力や話術という武器を持ってさも“余裕”そうにビジネス界で名を轟かせている方々は、インフルエンサーを目指す者が多い現代では憧れの的だったり、時として妬みの対象にされる。

「インフルエンサー」、つまり影響力がある人に大体共通しているのが、好き且つ得意なことで大きく収入を得られているということで、特に、自身がそれを目指しているものの元々の知名度がない、あるいは知名度を獲得するための資金がない者にとっては、イス取りゲームの席をいつまでも譲ってくれない邪魔な先輩になり得る。

ただ、彼らの暮らしぶりが他人の目に華やかに映っているのなら、彼らはそう見られることを止めはしないだろう。意図的に、華やかさを強調し続ける。

彼らが自身の収入を隠すことはあまり得策ではない。ありとあらゆる収益化の仕組みと実績を公開して信頼を得ることでファンを獲得し、そのファンから支援してもらう。

お金持ちなだけで自慢していると捉えられたとしても、自身や支援してくれる人に更なるお金が集まる可能性が高くなるはずだから、損か得かといえば得だ。

重要なのは、稼いだお金の使い道。持たざる者は、持つ者が手放さない限りそれが自分の元に回ってこないことを知っている。全国民が金持ちになることなどあり得ない。大金を手にした者は、それを手放す代わりに社会的地位や名誉を手に入れようとする。こうしてお金が世の中に循環し、お金を持たない人にも幸福が訪れる。

ところで、彼らと同様の地位・影響力が欲しいけれどもまだない私のような弱者は、どのような計画を企てて、彼らに追い付き追い越そうとするだろうか。

私なら、強がる

まるで世の中の全てを知っているかのような口ぶりで、彼らへの敬意も示しつつ、足りないのは知名度だけであってそれ以外は負けている部分はないフリをする。

あなたは、コラムやニュースなど文章を読み終えた後に、誰が書いたかを知ったら感想が変わることがありましたか?

自分にとっての特別な人の発言に心を動かされる機会は結構あると思いますが、それがその人のオリジナルな意見であることは可能性的にゼロに近い。

もう2021年。時代の積み重ねが今生きている人の考え方を形成している。誰かが何千年も前に思い付いていたアイデアを独特な言い回しでオリジナル風に表現したり、既存のアイデアを数種組み合わせることによって新たな発見を生みそれを上手に伝える役割を持つのがインフルエンサーだ。

ブラックホールのような何もない空間から何か1つ新しいモノを生み出そうとすることは非常に困難だし、それを目指す必要もない。

影響力がある人は、他人からの影響を存分に受けて自身の影響力を高めていく。

“強がり”とは、他人の意見を汲み取らないことではない。

自分が、他人の影響を受けないと何も生み出せない人間であることを認め、他人の意見に信頼を置き、それを最大限に活かすために、自信があることを強調して伝える。

私たちは元々独りで産まれていない。

名前も顔も知らない誰かの影響も、僅かながら受けて今の自分が在るのだろう。

みんなの力で作られている自分を卑下することは、時にみんなの否定となる。

才能があるフリを怠るな。

結果は後から付いてくる。

P.S.

胸を張るのと同時に腰を低く構えることの難しさ…

きっと影響力が増せば増すほど痛感するんだろうな(^-^)

こんな駄文を読んでくださった方、名前を出させていただいた著名人、地球上の生きとし生けるすべてのもの、ありがとうございましたm(__)m

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