【煽り】あなたの仕事への”誇り”を全力で潰しにかかってみます♪

【煽り】あなたの仕事への”誇り”を全力で潰しにかかってみます♪

(主観だらけです。気を付けて読み進め下さい。)

仕事に誇りを持つということ自体は悪いことではないですが、
誇れる部分だけを主張し、その仕事を行うことによって社会にデメリットをもたらしていることを隠すようであってはならない。

「なんであの人はこんな仕事してるんだろう」
「なんであんな仕事があるんだろう」

出来れば、そんな疑問を持ち続けながら仕事をしたい。

稼ぐ権利を行使するためでなく、あるかも分からない、全員同時に幸せになる方法を追求するために。

目次

  1. SDGsがムズい
  2. やりがいはあったほうがいい
  3. 誇りは過信
  4. まとまらないまとめ
SDGsがムズい

SDGsは「持続可能な開発目標」らしい。
「Sustainable Development Goals」でも難しいのは私が英語に明るくないからだとして、
「開発」ってロボットとか今までにない高機能な機械を開発する時にしか使わないイメージだ。
(って開発の説明に「開発」使ってしまった)

17の目標の1つ目、「貧困をなくそう」や2つ目、「飢餓をゼロに」あたりで、
人類みな平等に健康で文化的な生活を送りたいんだろうなという想いが伝わってくる。

国内外問わず、一社会人として、ボロボロになっていく地球を守ろうと行動を起こしている人がいること、社会の構成員全てを意識改革せねば真に平和な地球なんて取り戻せないであろうことは理解できたつもりだ。
(難しいの苦手なのに難しい言葉使ってしまう)

完全にそうとも言い切れないが、どこの国でも共産(社会)主義から資本主義へと発展していった背景がある。

「社会」という概念と個性や自由はなんとなく相性が悪く、
人間が人間である意味なんか追求し出した時に、自然と自由度の高い資本主義に行き着くのだと思われる。

SDGsは高度な経済成長を遂げた社会にあってしかるべき目標だが、
今の世の中では資本主義を正当化する「建前」としても機能していない気がする。

内容が悪いのではない。
単に受け取るこちら側の理解力が追い付いていないし、生まれた時から資本主義のど真ん中で育てられた人々にとっては、これまでの生活を暗に否定されているかのようで具合が悪くも感じ、無意識に遠ざけている可能性はある。

ただ、極論ではあるが、人類滅亡の原因となるものは早いうちに見つけて潰してしまうほうがいいと判断しているのだろう。

私はノっかってみる。

「仕事への誇り」を潰しにかかるのだ。

やりがいはあったほうがいい

人間は本質的に「生きる目的」を持って存在している生物ではないため、
滅亡の回避などという人類の共通目標を無理やりにでも立てなければ、あっさり働くことをやめてしまう。

働く(≒稼ぐ、社会貢献)→対価を得て成長する→他人に評価され繋がる→新世代に経験を伝承する
この基本的な流れを絶やすことなく、人間自身が生きやすい環境を作り上げてきた。

人が働こうと思う根源には、「誰かの役に立ちたい」という強い意識がある気がしてならない。
「誰か」には自分も含まれる。
自分や家族、友達、見知らぬ他人と対象は人それぞれだとしても、「幸せになって欲しい」という願いが人々を動かすのなら、正にそれは分かりやすい「やりがい」だ。

建前としてでも、やりがいがあることで人が動くなら、持っておいたほうがいい(持たせたほうが都合がいい)ものだ。

自分の行為が誰かの悦びに結び付くことを具体的に想像できる人ほど、イヤなことに苦痛を覚えることなくこなせるのだろう。
仕事を楽しむことは効率が良い。
楽しんでいたら時間はあっという間に過ぎる。

誇りは過信

危険なのは、「やりがい」を超えて「誇り」まで感じてしまうこと。

誇りとはそのまま「誇れる」こと。
胸を張って、「○○しているから人々の役に立っている」と自信を持つこと。

別に、間違っていると断言できる代物でもない。

少なからず、役に立っている人はいるのだろう。

ただし、特に誰かのために働いている人にとっては、どれだけ人を助けてもその人自身が助けを借りなくても済むようになる(自立)ことの妨げとなっている可能性もあるし、

一方だけ救って他方をないがしろにしている可能性は高い。

自動車は多くの人々の生活を豊かにした。

その社会貢献度の高さからメーカーにクリーンなイメージを持つ人も多いが、

事故や環境汚染の原因を増産し、一部の人々にとっては存在自体がデメリットをもたらしている事実を置き去りにしてはならない。

「ダメだからなくせ」なんて簡単に決められない。

100%誰にとってもいいものやその逆なんて見つけるのは困難だ。

文明の進化には犠牲が付き纏う。

犠牲を見て見ぬふりするか否か、その時々の人間の判断に委ねられる。

今はきっと行き過ぎた成長を抑えるターンだ。

人間、それが生活する地球を守るため、
出過ぎた杭から打ちつけられ周りとの足並みを強制的に揃えさせられている。

これに対し、ポジティブでいることを求められる。

打たれる前に、縮まなくてはならない。

正しいかどうかなど分からないが、
「自分の会社が成長する裏で損をする人も多い」と思い込まなければならない。
「活動を抑えることで救える命がある」と思い込まなければならない。

一部の人に何もしないことを啓蒙することが、地球を救うことにつながったりすることがあるのだ。

誇りとは自身の行動の正当化。
大手を振るって一部にとってのマイナスを生むきっかけを作る。

そう悩み立ち止まることができたなら、
冷静に自身の行いを振り返る時間を確保できる。

そう、考える時間が必要。

社会的通念とマイルールの擦り合わせ。

そうやって悩んで立ち止まる時間を個々が持つことで、
社会全体の過度な成長速度を緩めることができる。

まとまらないまとめ

自動車メーカーだけ例に出されて可哀想な文章となってしまいましたが、
特に攻撃の意図はありません(^-^)

私は車を保有しているし、その便利さを享受している。

ただ、便利でなくなった時には固執せずあっさり手放したいし、
その準備をしておきたい。

準備と言っても買ってくれる人を見つけておくわけではなく、心構え。
モノへの依存心で不要→淘汰という自然の流れにストップをかけないように。

私にとっては仕事への「誇り」こそ最も不要なモノだった。

本当にやりたいことの形を歪める材料になっていた。

今は他人のそれさえも”ホコリ”に見える。

掃ってツルツルな「やりがい」として輝かせたい。

P.S.

惹くために強めの言葉を多用し申し訳ございませんでしたm(__)m

あと、よくわからん文章で申し訳ございませんでした(いつものこと

(この記事は↑『Don’t Think.Feel』の歌詞にインスパイアされて書きました。って言ったら大げさ過ぎだしUVERworldにとって迷惑かな。)

1件のコメント

  1. ピンバック: 一物書きとしてスルー出来なかった…全てを曝け出す人たちの『給与明細』 | おきなわとっぷぶろぐ

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