まずは、ひろゆきさん、ネットニュースさん、久々に書きたい欲を湧かせてくれてありがとうございます_(._.)_
「ひろゆき」と個人を特定しにくそうな通り名が使いやすいことにも感謝 笑
(そもそも攻撃的な文章は日和って書けない自分がココにいます 汗)
さて、当人にはきっと届くこともないメッセージを、出来るだけ簡潔に述べられるよう努力しつつ書き進めます。
(努力しない人ほど「努力」という言葉を使いそう)
初めてクルマを買ったのは、年収1億超えてから15年後ぐらい。 未だに自炊派。 コロナ禍で旅行に行かなくなったので、月の生活費は5万円ぐらいのおいらです。
– Hiroyuki on Twitter
だそうでして。
(雑な要約➡)1億もの巨額の富を得られた人は、世の中に溢れている高級品が買えるようになり、すると欲がしっかり生まれ消費し、巨額の富があっという間になくなってしまうのが一般的な“人”というものだ
という意見に対し、
「そうでもないかも」という自分の例をいくつか挙げられています。
…
好きです。
その生活が憧れのものか見本となるべきものかなどはさておき、それが実現できている事実が素晴らしい。
しかも、まったく苦しくなさそう。
楽しいかどうかも本人しか実感できないものでしょうけど、少なくとも苦しそうには見えない。
見習いたい。
彼のように、しっかりと自身のアイデンティティを確立したまま、余裕ある富を自分のイメージUP(+社会貢献)のために分配出来ることが素晴らしい。
もしかしたら特に社会貢献の意識なく、結果的に行いが社会貢献に繋がっているのかもしれないけれども、どうあれ救われている人がいることが素晴らしい。
特筆すべきは、全ての言動にムリしている感じがないこと。
人が簡単に苦労を選んで、見返りにお金だけ手にして疲弊して病んでいく姿は傍から見ると可哀想(一例です)でもあり、その可哀想の連鎖で成り立っているような部分が今の日本にはある気がしまして…。
もちろん、彼がただただ金庫に全財産を大事に閉まっているだけなら「もっとお金使えばいいのに!」っては言ってしまうのかもしれないですが、
ウィンウィン。
世界がどんどんより楽しいモノへと変わっていく。
ところで、「浪費欲求」って結構多くの人にあるような気がしていて、結果的に誰かが喜んでくれるならその感覚も捨て置きできないなと。
知人のいわゆる“ギャンブラー”が、「勝ち負けに関係なくとにかく賭けの場に行ってしまう、止められない」といった内容を苦笑いと共に話してくれたことがありましたが、
賭けの時間を楽しめて、生活に困らないほど負けて、勝った相手も楽しい時間のためにお金を消費出来るなら、自分に不要な、持っているだけなら腐ってしまうお金を役立ててくれる人の元に預けていることになるので、堂々と遊んでくれても構わないけど(笑)なんて思ってしまいました。
そんな価値観を与えてくれるきっかけの1つといえば↓
楽しくて楽しくて。
親愛なる西野さんに届くであろうことを信じて書く手紙【転載】
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