(この記事は、2020/11/06 23:57に、『note』で公開させていただいたものです。
noteで公開されている分は、いずれ、有料化か削除を行う予定です。
リンクも載せておきますので、表示されて全文読めたら有料化も削除もされていないということです(^-^) )
病院なら、病人が居なくなればお医者さんも看護師さんも職を失うし、
スマホ修理屋だって、絶対に壊れないスマホが完成したらそっと店を畳むかもしれない。
何事にも例外はあって、医療系なら予防医学の観点から病気にならない方法を教えたり、デジタル関係なら次々増えるアプリの使い方を教えたりすることに需要があるので、徐々にサービス内容をシフトチェンジしていけば客がいないと嘆く未来は来ずに済む。
病人が増えることを願って待っているだけの医者が居たとすれば、完全に社会的役割を見失っており、金を稼ぐ代わりに、仕事に充実感を得られる日は一生来ないだろう。
物書きだって一緒だ。
フィクションで人を楽しませることは出来ても、
ノンフィクションを騙る嘘をついた後に待っているのは果てしない絶望。
他者を傷付けた後に罪の意識を感じるようプログラミングされていることによって、かろうじて平和が保たれている。
しかし、事実と嘘の違いを判別するのは元々難しいことも相まって、書き手が倫理観さえ捨てれば、他者を奈落の底に陥れる技術だけ身に付けた悪魔になり代わり…
(この記事は23:59までにはリリースされる)
(毎日連続更新記録を無理矢理にでも引き延ばしたいからだ)
(時を戻そう)
私は圧倒的にフィクションのほうが好きだ。好んで書きたいと思う。
※この物語はフィクションです。登場するぬーやんぴーやん
と先に書いておけば、ある程度何を書いても許されるような風潮がある。
もちろん、大量殺人事件をテーマにした推理小説の作家が「書きたい」だけで「物語の世界を現実で再現したい」なんてことはないのだろうが、私には憚られる。
(書く才能云々は置いといて)
やはり、それを書いた人と思われることによるマイナスイメージを避けたいという思いが勝って、当たり障りのないことしか書けない。
これまた人間らしさがあると言えよう。
人は人のために文を綴る。多分。
誰にも見せたくない日記もあっていいが、本気で見せたくないなら最終的には自身で焼き払ってしまうだろう。
(あと20分弱でリリース出来るのか)
(タイトルから先に決めるとどエライことになる)
沢山の記録物が世の中に溢れ返っている。
それを読んで自分なりの解釈を他人に上手に伝える人がいる。
時に、最初に書いた人より評価されることもある。
より分かりやすく、多くの人に伝えられたからだ。
図書館に行く。又はスマホでネットサーフィンをする。
自分で選んだつもりの文章は、見えやすい場所で手招きしていることも多い。
偶然を装った出会いのおかげで人生が一変することもある。
あなたの目の前にある文章を、文字をもっと大事にしたほうがいい。
大したことない文字の羅列に見えても、伝えたい思いを感じ取れたら輝くし、
一瞬で新しい発見が出来たなら最高だ。
この文章は、、、
失敗だ。
p.s.
焦って元々まとめる自信がないものがよりぐちゃぐちゃになった。
また余裕がある時にリライトしようと思う。
今の1番の目的は、今日中に書き終えたフリをすることだ。