ネタ記事なのでサクっと終わらせられたらと思います(^-^)
…最大限に配慮して、ナニについて語るかは出来る限り濁します。
日本という国は不思議ですよね。いや、世界もなのかな。
発しただけで笑顔になる人がいるなら、それは使用を推奨されるべき言葉となってもおかしくないのに、伏せられる。
特に、大人と子供、世代間の「言葉の分断」は確実にある。
「言ってはいけない」という教育が正当化され伝承されていく。
「ここはこう言い換えたほうがいい」のように、ポジティブシンキングに導く言葉の使い方を出来る人は少ないのかもしれない。
なぜかこういう時は濁さない。「~するな」の一点張り。
Twitterは、人々が話題にしている内容を結構忠実にトレンドに反映させる。
ネットの場合は、口にしなくても文字で”投票”できている感じか。
「公益性」なる実態が不透明な概念をもって、
日本のテレビでは取り扱われる可能性が低そうだ。
需要と供給のバランスは乱れているのかもしれない。
こういった言葉を言いたくて仕方なかった人たちがこぞって反応した。
「これなら誰にも訴えられない、だって、どんな罪にも該当しない」
一方で、不快感を示したいが口をつぐんでいる人もいるだろう。
SNSやネットニュースの画面をそっと閉じたかもしれない。
不快感の解消法を与えるのが非常に難しい。
なぜなら、誰も悪くないからだ。
人間が動物”然”としていたなら話題にもならなかっただろう。
卑猥なモノ、もしくは大切なモノとして扱われ、
人前で見せることを意図的に封じた。
すると、見えないものを見ようとして
望遠鏡をのぞきこもうとする人が後を絶たなくなった。
今も多くの人類は、
望遠鏡をのぞきこむことを禁じ手とし、
代わりに想像や独り言で欲望を解消している。
その欲は、
隠さなければ存在していなかったものだ。
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