まえがき
誤解が時に巨大なパワー(拡散力)を生むこともあるので、
いわくつきのこのタイトルは暫くそのままにしておこう。
私の彼女たちとの出会いは約10年前に遡る。
出会いと言っても知り合いでもなんでもなく一方的に知っただけだ。
「彼女たち」というより、フロントに彼女たちを据えた壮大な実験のためのプロジェクト。
それとの出会いである。
なぜかずっと忘れられないお笑いコントがある。
モンスターエンジンの「神々の遊び」。
無心でゲラゲラお腹を抱えて笑うのとはまた違う、発せられる言葉から強いメッセージ性を勝手に感じ取ってしまう面白さ。
『暇を持て余した、神々の遊び』
その名フレーズは彼ら自身についても巧く言い表しているようにさえ感じる。
神ならではの崩し
狙ってのことなのかはそれこそ神のみぞ知るが、
私は彼女たちをただの一度たりとも「応援」したことがない。
2026年現在と比べ、大人数アイドルグループ(AKB48グループ、坂道グループ etc…)がまだ女性(ボーカル)アイドルシーンのセールスやお茶の間への知名度を牛耳っていたと言っても過言ではなかった当時、
少人数で作られるグループは、それだけで何らかの意味を観る側に持たせた。(何人までが少人数かは個人の感覚に依る)
そもそも運営資金が豊潤でないと大人数グループなんて作ろうとも思わないかもしれないが、
傍から見ても自転車操業的にならざるをえない広告手段への対抗意識というか、
「少数精鋭でイケる」「媚びの姿勢は不要」と感じさせた。
完全なものに対して「応援」の一言はあまりにも烏滸がましかった。
彼女たちが身を投じて、作品を通して「安心」を与えてくれたので、観るだけだった。
傍観者。気持ちを鼓舞させて「彼女たちを自分の力でスターに導く」なんて気持ちは微塵も湧いてこない。
初見から理想の偶像だった。
実は上記の感想は、音無し(ミュート)状態、視覚から得られる情報のみで構成されている。
音(音楽)については、楽曲『完全なるアイドル』が素晴らしいものであることは前提として、音楽の「理想」とはこれいかに、「アイドルミュージック」の「理想」とははてさてどのように定義付ければいいか、聴けば聴くほど分からない。
恐らく、特定のジャンルだけ聴くような人はアイドルミュージック好きには存在しない。
私はアイドルを通じてボーダレス・ジャンルレスな魅力やカテゴライズの無意味さを痛感させられた。
そんな私が、
この曲の歌詞から受けたのは「神々の遊び」の具現化だった。
「猫耳しんどい」や「アイドル多すぎ」と挑発的とも捉えられかねない言葉を敢えて入れることにより、人々の思い描くアイドルに対する理想を打ち砕きに行く。
そんな明確な狙いがあるように思えた。
そんなことする意味は?と疑問視する方もいるかもしれないが、
リリース時の業界はこと楽曲の部分においてかなり「飽和」していた。
人々の理想に寄るというか、民意の平均値を取るというか、
大衆への普及を使命の一つとして持つメジャーレーベルなんかは、
ヒットへの王道を逸れずに進むことへの葛藤と常に向き合っていたように思う。
加えてプロジェクトのフロントマン5人のビジュがめちゃくちゃいい。
歴史をもう少し遡ると、スター同士の組み合わせでグループ(ユニット)を作っても売れないと考えられていた時代があった。
小室哲哉とYOSHIKIのV2を好例かのように無理やりねじ込んでおこう。
もちろん、個々の圧倒的人気とそれによる話題性があるため、逆に穿った見方をする大衆。
しかも本人たちの求める自由な表現は必ずしも万人受けするものではなく伴わない売り上げ(採算度外視という側面)。
自己満足感・顧客満足度とセールスのXY軸が綺麗な正比例直線を描いていない時代は今もなお続いている。
では、平成の終盤に生まれたわーすたはどうしたか。
彼女たちは、というより彼女たちの周りを取り巻く大人たちは、
ビジュの良さに気を取られて聴衆が楽曲と向き合わなくならないよう邪道に進み、違和感を与えた。
崩しだ。遊び心だらけで極めて実験的だ。
この可愛い属性ど真ん中のビジュ全員を急にやさぐれさせてみよう!
って発想が面白すぎる。
しかも、分かりやすい可愛さの表現から逸れることで、
副作用的に、売り上げに対する執着がないような印象さえ持たせた。
太古から「かわいい」は上手に有効活用され商品の売り上げを何十倍にも膨れ上げさせてくれる力を持っていた。
けど神は目先の利益を追求する必要がない。そもそもお金を使わない。
神は代弁者たる5人をやさぐれさせるだけでなく、非常にミニマムなテーマに帰着させた。
サビ終わりの歌詞が「5時起き」。
「愛してる」とかじゃない。5時起き。
最も言いたいことを溜めておいて終わりにぶつけるみたいなセオリーは無視された。
いや、インパクトはあるけども。
それでも応援したい私へ
ここから、自分へ向け書き残す。
特に無駄になることはないはずなので、辿り着いてるならあなたも読み終えてほしい。
神認定したアイドルに応援は烏滸がましい。
何を応援しているかも分からない。
上があれば上がってほしい、前があれば進んでほしい、その気持ちと手助けこそ応援と呼ぶのではないか。
自分よりシゴデキで地位・名声もあり、それに対する執着がない人に必要なもの…
あった。
一般の視点から山ほど愚策を練り提案する。
神が神として人を救う立場にあるのに、なんかゴチャゴチャ言ってきて守りがいのない輩だと思わせる。
お姫様の作り方
神を連呼しすぎて信仰し過ぎの怪しさが前面に出てしまった。
代えよう。
「姫」がしっくりくる。
これまた同じような見え方をしてる人を1人、挙げさせてほしい。

佳子さまだ。
自分が肉眼で見たことないだけだが、どうにも実在が疑わしい。
皇族生まれの時点で「応援」なんて申し訳ないという気持ちにさせられるし、
(表現として適切でないかもしれないが)生まれながらのスターなので、
困っているときは力を貸してあげようなんて夢にも思わない。
普通は逆だ。
困りごとを親身になって聞いてくれそうな雰囲気がある。
彼女も姫属性の1人なのだろう。
王族にも皇族にも詳しくないので分からないが、
姫がもし財布を持っていたとして、お会計させたくない。
一国の主の子として生まれたからには、
財政に無頓着であれば問題だが、
王家の家計については知らなくていい。
そのほうが縛りがない。
お姫様にいつまでもお姫様でいてもらうために、
仕える者の1人として私自身はマネーリテラシーを高める必要がある。
世間一般の感覚について見聞きした時に鵜呑みにしてはいけない。
咀嚼を繰り返したのちに自分なりの解釈を加え、
社会全体としていい方向に転ぶように導く。
世界標準とは、世界の頂点を指す言葉ではない。
頂点がなくなった平地に溶け込んでいる高水準に、
人々が無意識下で合わせている。
そんなとこ。
似合う服を着るか好きな服を着るか
(前段で読者離れ凄かったかもしれない。)
芸術的活動に勤しむ方々がいつまでもぶつかり続ける問題がある。
【似合う服を着るか好きな服を着るか】
既にあるモノのトレースに対して人は反発心を持つ。
似ていても構わない(仕方ない)が違っている部分やプラス要素を欲しがる。
作品は売れる(=好まれる)ことも期待され産み落とされる。
創り手は評価してくれる誰かの存在を無視した作品を作れない。
一方、突拍子もないアイデアでも、それをすぐ具現化せずに、
マイナーチェンジを繰り返すことで売れるよう浸透していく。
人々の感覚を無意識レベルで創造主のクリエイティブに近付けていく。
何事も受け入れられるのには時間が必要だ。
問題は人生は有限だということ。たぶん。
似合わないけど着たい服だけ、好きじゃないけど似合う服だけ、
極論ばかり選択していると人生はあっという間に終わる。
2つ3つと人生を同時進行している人がいる。
(旧)KinKi Kids・(現)DOMOTOの堂本剛さんなんか正にそれらしき様相だ。
グループの一部としての自分、個体としての自分、それの表の活動とプライベート。
できる人…出来るかわからないけどとりあえずスタートしてみて今なお続いている人がいる。
わーすたちゃんは私にとって1つの個体だ。
それ自身が1つの意志を持って動いている。
一生の永遠はまだ見たことも聞いたこともないから、
終わりはあるのかもしれない。
終わりに悲しみは付きものだよねってお話。
でも、どうせならハッピーセットにしたいよねってお話。
だから、まとまりがない文章でも実験的に投下してみようってお話。
…タイトルについて綺麗な説明できてなかったな。
「応援」じゃなくて、いつも無心で楽しめてるよ、ありがとう。
感謝の気持ちを伝えるだけじゃなく、
お礼として倍返ししたくなっちゃってるヲタクがまあまあいっぱいいるはずなんだ。
エゴって怖いよね(笑)
個人的な礼品って、形あるものではなく、今後の音楽活動が益々充実するための何かって感じかな。
わわわわ。
あとがき
ここ数年の流行ってアマプロ感というか、成長過程を見守りたいというか、応援したくなる人を応援してる感じな気がするけど、
それと同軸で、都度その時のベストをさりげなくかつ出し惜しみなく見せてくれているわーすたの奇才ならではの苦悩というか、そゆとこもスポットライトもっと当てて眩しすぎて見えなくなっちゃっても世界は楽しいなと。

